マッチ年表 3

1949年 昭和24年輸出品取締法施行される。マッチは4条商品の指定を受ける。 日本燐寸産業株式会社(日本燐寸統制株式会社の後身)閉鎖機関に指定される。 4月―12月にかけて大部分の工場が再び中軸(六厘)を使用し始める。 7月燐寸公定価格廃止。 9月日本燐寸会議所は社団法人日本燐寸工業会に改組。 財団法人輸出燐寸検査協会設立される。 この年の末頃には松軸マッチは殆ど使用されぬ様になる。軸木用材は主に北海道白楊、シナノキまたは内地のサワグルミを使用する。 マッチ小売価格並型標準1ヶ2円(最低1.50円、最高2.50円)。マッチのダンピングいよいよ激しく、市場は混乱した。業界の安定勢力となりうる産地問屋として日新商事株式会社なる新会社の設立が考えられたが、一部反対により流産する。
1950年 昭和25年1月燐寸物品税引下げられる。1000本につき2円。 5月不正競争防止法施行される。
1951年 昭和26年1月燐寸物品税引下げられる。1000本につき1円。
1952年 昭和27年「特定中小企業の安定に関する臨時措置法」が施行され、10月日本燐寸調整組合が設立、出荷数量など制限始まる。
1953年 昭和28年広告燐寸東京向出荷協同組合設立する。 「中小企業安定法」施行される。 日本工業規格「安全マッチ」が制定される。
1955年 昭和30年JIS表示許可工場が全国で27工場に達す。 紙製の小箱製造機の完成に伴い、紙製の小箱が出現する。
1956年 昭和31年マッチの価格制限実施。 日本燐寸軸木用材協同組合設立。 日本燐寸協同組合設立。
1957年 昭和32年「中小企業団体の組織に関する法律」が施行される。
1958年 昭和33年日本燐寸調整組合は日本燐寸工業組合に移行。 マッチ軸木用材イタリヤポプラの植林始まる。
1961年 昭和36年西独より初めて連続式マッチ製造機を輸入、マッチ製造の機械化が促進される。
1963年 昭和38年「中小企業近代化促進法」が施行さえ、マッチ製造の機械化が促進される。
1966年 昭和41年マッチの価格制限撤廃。
1966年 昭和41年マッチの価格制限撤廃。
1972年 昭和47年軸木の太さが標準2.1ミリとなる。
1973年 昭和48年マッチの総出荷量が戦後最大の80万マッチトンに達す。
1974年 昭和49年マッチ百年際。マッチ物品税撤廃。
1977年 昭和52年使い捨てライター急増。 マッチ製造業制限設備共同廃棄事業実施(1次)。