マッチ年表 1 | |||
1673年 延宝 元年 | ドイツハンブブルグの承認で練金術者のブラントが初めて燐を製出す。 | ||
1778年 安永 7年 | アウグスブルグ(ドイツ)のブランデンが発火注射器を発明する。 | ||
1780年 安永 9年 | バスル(ドイツ)のファーステンベルグが電気的空気式発火器を発明する。 | ||
1781年 天明 元年 | 英国に於て黄燐蝋燭と称するものが発明する。 | ||
1805年 文化 2年 | フランスのシャンセルが塩素酸カリと濃硫酸で発火させる浸酸マッチを発明する。 | ||
1807年 文化 4年 | フランスのモーレーが圧搾式の火打箱装置を発明する。 | ||
1827年 文化11年 | 英国のウォーカーが摩擦燐寸(黄燐燐寸)を発明する。 | ||
1831年 天保 2年 | フランスのサウリヤによって黄燐燐寸が工業的に製せられる。 | ||
1844年 弘化 元年 | スェーデンに於てヨンコピング燐寸工場設立さる。 | ||
1847年 弘化 4年 | 兵庫県加古郡横谷村出身の蘭学者川本幸民が燐を用いた燐寸を造ったという記事が「裕軒随筆」という川本幸民の著書に記載されている。 | ||
1854年 安政 元年 | シャロッタ博士が赤燐を発明して現在の安全マッチの先駆をなす。 | ||
1855年 安政 2年 | スェーデンにて安全燐寸発明さる。 | ||
1875年 明治 8年 | 清水誠、東京三田四国町に燐寸製造を始める。 | ||
1876年 明治 9年 | 清水誠、東京本所柳原に新燧社を設立し、本格的製造を始める。 | ||
1878年 明治11年 | 我が国始めての輸出が実現さる。(金額2万4千円) | ||
1879年 明治12年 | 本多義知、明治社を設立、燐寸製造を始める。 | ||
1880年 明治13年 | 清水誠、全国唐物商を網羅して開興商社を設立、販売機関とする。 滝川辧三神戸にて清燧社を設立し、燐寸製造を始める。 井上貞次郎大阪にて公益社を設立し、燐寸製造をはじめる。 | ||
1885年 明治18年 | 我が国に於て黄燐燐寸製造禁止される。 | ||
1887年 明治20年 | 直木政之助、神戸にて燐寸製造を始める。 | ||
1890年 明治23年 | 我が国に於ける黄燐燐寸製造解禁される。 | ||
1893年 明治26年 | 日本郵船のボンベイ航路が開設され、印度直輸出始まる。 日本独占の細軸安全燐寸が製造され、神戸在住の清商の手を経て南清地方へ輸出される。 | ||
1904年 明治37年 | スイスベルンに於て黄燐燐寸製造禁止の条約される。 (但し我が国は加入せず) 我が国マッチ輸出金額が重要輸出総金額の四割に達す。 | ||
1907年 明治40年 | 支那内地にマッチ工場興る、支那向輸出この時より漸減する。 日本燐寸同業組合事務所設立される。 | ||
1912年 大正 元年 | 日本安全黄燐燐寸同業組合設立される。 |