日本では、江戸時代の末期になると、各地で雷酸銀や燐を使った方法で「発火」させたという記録は残っているが、詳細は不明である。マッチが出てくるまでの発火方法は、古来より人の手により、木と木を擦り合わせた「摩擦法」、火打石と火打石のかど、あるいは火打石に鋼鉄片を打ち合わせる「撞撃(どうげき)法」によって行っていた。また、屋根板を葺くときに使うヒノキ・スギなどを削いで作る「こけら」に似た薄い木片の一端にイオウを融着し火種から点火するために「イオウ付木」が長く使用されていた。これは8世紀ころから使用されていたらしく、安全マッチが普及した昭和初期にもまだ使われていた。